3.11から6年が経過。僕のタイ移住が絶対に失敗だったと思う2つの理由

人生ノート

6年前の今日という日が、金曜日であった事を僕はしっかりと覚えている。

普通なら、6年前の今日が何曜日であったかなんて覚えていることは出来ない。

1年前の今日が何曜日だったのか、僕はハッキリ思い出せない。

1ヶ月前の今日が何曜日だったのかさえも思い出す事は難しい。

でも、僕は6年前の今日の日の事は覚えている。

絶対に忘れない。

そして、6年前の今日に起こった日の出来事も、僕は今でも鮮明に覚えている。

絶対に忘れる事は出来ない。

なぜなら、6年前の今日という日は、東関東大震災が起こった日だったからだ。

3.11から6年が経過。歩んできた人生を振り返る。

EarthQuake

本日2017年3月11日は、あの東関東大震災から6年が経過したことを意味する。

東関東大震災、そして、福島原発事故、放射能汚染。

6年前の今日は、多くの日本人にとって、忘れる事が出来ない大きな災害が起こってしまった日だ。

僕の海外移住は、6年前の今日というこの日がきっかけで始まっていった。

2011年3月11日の東関東大震災から原発事故発生まで

Fukushima

6年前の今日、東関東大震災が日本を襲った。

今僕はタイという東南アジアの国で生活をしているが、6年前の今日は、日本で仕事をしていた。

この日の出来事は2年前に詳細を記載した。

今でもこの日の出来事は鮮明に覚えている。

海外へ逃げて、あれから4年。3.11が私の人生を変えてしまった。

6年前の今日は、僕の人生にとって、人生を変えてしまったターニングポイントに日であった。

海外移住を決意し、タイへの転職活動を開始

Challenge

原発事故を目の当たりにした僕は、すぐにこれから生活していく事に疑問を持ち始めた。

というよりも、日本で生活していく事が純粋に怖いと感じるように至った。

放射能に汚染され、死んでしまうのではないか?

大袈裟に聞こえるかもしれないが、当時の僕は本当にそう感じていた。

なぜなら、僕は学生時代からサーフィンを趣味としていた。

だから、普通の人よりも一層放射能汚染の被害を受ける可能性が高いことになるだろうと感じていたのだった。

海に入れば、放射能に汚染される。入らなくとも放射能に汚染されてしまうのではないか。

当時の僕は、そんな事ばかり考えてしまっていた。

いろいろと悩んだ。

そして、悩み抜いた結果、僕は海外に移住する事を決意した。

元々僕は昔から、海外に出て働いてみたいという気持ちが強かった人間だ。

だから、関西や九州などに逃げるということではなく、海外に行きたいと考えたこと。

これは、僕にとっては当然な自然な成り行きでもあった。

僕は、6年前に起こった東関東大震災そして福島の原発事故がきっかけとなり、外国で働く事を決意したのだった。

決意をしてからそれからというもの、すぐに海外移住に向けての行動を起こしていった。

仕事をしながらの転職活動が始まっていったのだ。

とにかく、すぐに海外に出たいと思った。

唐突に決めた海外移住、海外での就職活動だったが、海外に移住すると決めた時からの僕は、もうがむしゃらに海外に移住する事だけに夢中になっていた。

原発事故が起こってから、転職先が決まるまでの間、面接を受けるために何度も日本とタイを行き来した。

仕事は辞めていない状態で転職活動を続けていた為、また、原発事故後は、一緒に働いていた外国人同僚たちも会社に来ていなかった状態が続いていたため、彼らの穴埋めをする仕事に追われ、多忙を極めた。

そんな多忙な中、土日の休みを使ってタイに飛び、転職活動を続けていった。

そして、それから、1ヶ月ほどでタイにある企業での転職先が見つかった。

すでに原発事故発生から1ヶ月半程が経過し、原発の状況は沈静化しつつあったが、転職先が見つかった僕は当時働いていた会社に退職の話を付ける段取りとなった。

僕はもう日本に見切りをつけ、タイに転職する形で日本を離れることにしたのだった。

転職先が決まり、タイに移住するまで

Overseas

僕はタイに出る段取りを付けることになった。

勤務していた企業に退職を申し出て、引継ぎの予定を立てた。

後任者への引き継ぎもすんなり事が進んでいった。

原発事故が起きてから海外移住を決意し、ここまで勢いだけで物事を進めてきたが、全てがトントン拍子に物事が決まり、進んでいった。

当時の僕を振り返ると今でもよく覚えているのが、タイでの転職が決まった当時の僕の心境は、海外に出れるという嬉しさが非常に強かったということ。

僕にとって海外移住、海外で働くということは大学生のときから憧れていた一種の目標みたいなものであった。

海外で働くことは、僕にとって夢が叶ったようなものだった。

いつか、いつかと先の延ばしにしていた海外移住が現実に近づいていた。

タイへの就職が決まった当初は、本当に嬉しかったのだ。

日本を出てタイに行き、生きていく希望で一杯だった。

Hope

しかし、この気持ちはすぐに僕の中で小さくなっていった。

勢いで転職活動、退職届けまで進めてみたものの、僕はタイでやっていけるのか?

僕のスキルは海外で通用するのか?

今まで周りにいる友人と全く同じと言っても良いレールの上を歩んできた僕だった。

僕の周りには海外に出ている友人や同僚はいなかった。

このタイ移住は多くの日本人と異なるレールの上を歩むことを意味していた。

僕はここで、大きくレールを外れてしまったのではないかと考えるようになった。

勢いで決めた海外移住、タイ移住が不安になっていったのだった。

タイに出発する日が近づくにつれ、この不安の気持ちは日に日に強くなっていった。

Anxiety

この不安な気持ちは、タイに移住する飛行機に搭乗するまでの間ずっと続いていく事になる。

成田空港でタイに向かう当時の僕は、既に希望よりも不安のほうが圧倒的に強くなっていた。

何もかも捨てて海外に出て行く事になったけれど、果たして僕は海外でやっていけるのか?

タイで生活していけるのか?

情けない話だが、タイには行かず、やっぱり日本にいたいと思ったほどだった。

僕はタイへ向かう飛行機の中でそんなことを思っていた。

不安しかないタイへの旅立ちとなってしまっていたのだ。

2011年5月タイに移住し、今に至るまで

Thailand

原発事故が起こってから、勢いだけで物事を進め、タイにまで来た。

タイに到着し、すぐに生活する為の準備を進めた。

住居は既にタイに来る前に、日本である程度の目星を付けてきていた。

目星をつけていたエリアのアパート、コンドミニアムを周り、良さそうな物件がすぐに見つかった。

そして、契約を結んだ。

それから数週間後にタイでの就業が始まった。

僕は元々日本でも外資系企業で働いていたため、外国人と働く事に抵抗は無かった。
たぶん僕なら、同じ外国人という事でタイ人とも上手く仕事が出来るとさえ思っていた。

だから、働く事に対してはそこまでの不安はなかった。

でも、これは間違いだった。

働き始めた当初、大きな問題が発生した。この内容は、以前下記記事に記載した。

タイ人に教えて貰った人生を楽しく生きる為の2つのヒント

この記事で記載した通り、タイの仕事環境はかなり特殊な環境だった。そして、タイ人を理解するのは非常に難しいものだったと当時の僕は強く感じた。

働き始めた当初は、本当に毎日が大変であった。

毎日が苦痛で仕方なかった。

そして次第に、日本に帰りたいと思う気持ちが強くなっていった。

タイにきたばかりなのに、タイに来た当初の僕は、日本に帰りたいという気持ちや不安そして苦痛ばかりだったのだ。

僕はそんな気持ちをかき消すかのようにガムシャラに働いていくことになった。

働く事で、これらの不安をかき消していこうと決めたのだった。

とにかくガムシャラに働いた。

とにかくガムシャラに働いて、タイの仕事や生活にも適応していった。

そして、仕事が多忙になるにつれて、タイの生活に慣れていくに連れて、当初抱いていた不安は消えていった。

6年経った今日、今までの自分の人生を振り返って見ると、6年前に感じた不安が嘘かのように、タイで生きていくのが楽しいと感じている。

今ではタイで働くこと、タイで生活する事が至って普通の事となっている。

タイで生活する事が日常になっている。

仕事もやりがいがあると感じている。

プライベートも最高に楽しい。

6年前に不安だったことや当時の気持ちが嘘であったかのように、僕のタイ生活は順風満帆になっていると今は感じるに至っている。

今は、不安という気持ちは、僕の中でほとんどない。

本当に6年前の僕の心境がバカバカしく感じるほど、自分が弱かった人間であったと感じる。

僕はタイに移住してよかった。正解だったと思っている。

しかし、今改めて自分が歩んできたタイ移住の歴史を振り返ると、やっぱり僕のタイ移住は失敗だったと強く思うのだった。

僕のタイ移住が失敗だったと思う2つの理由

Thailand

なぜ僕のタイ移住が失敗だったと思うのか。

それには2つの理由がある。

理由1.何も計画しないでタイに移住してしまった事。

僕は6年前の原発事故がきっかけでタイに来ることになった。

あまりに突然の海外移住であり、僕のタイ移住は何も計画していない所から始まっていった。

6年前の当時を振り返ると、もし、あの時にしっかりした計画を練ってタイに移住していれば、もっと円滑に物事が進んでいたと今強く思う。

時間を掛け、タイの事を調べ、計画を練って、お金を十分に用意し、タイ語の勉強も日本である程度行った状態でタイに来れば、良かったと心底思うに至っているのだ。

前述したようにタイに行く前の僕は、自分はやっていけるのかという不安の気持ちが非常に強かった。

なぜ僕はタイに移住するという希望より、やっていけるのかという不安の気持ちが強かったのか?

これは、何よりタイ移住の計画を一切立てていなかったからだったと思う。

もし、入念に計画をしていれば、当初感じていたどうしようもならないような不安に掻き立てられることもなかったはずだった。

僕のタイ移住は、何も計画をせずに、勢いだけでただ海外に逃げることが目的だった無謀なチャレンジだったと今つくづく思う。

理由2.明確な目標を持っていなかった。

タイに来る前はどうしようもない不安に襲われた。

しかし、それだけではなかった。

タイに来てからも嫌なことばかりを経験し、日本に帰りたいと思う毎日が続いた。

そして、当時の僕は、ただガムシャラに働くだけだった。

自分がなぜタイに来たのかは自覚していたが、当時の僕には明確な目標が一切なかったのだ。

これから僕がどうしていくのかという明確な目標が無かった。

自分がない人間だった。ガムシャラに働いていただけだった。

ただ、がむしゃらに働けば良いと言うものではないと今強く思う。

ガムシャラに働く事によって、結果的に不安な気持ちなどは消えていくことになるのだが、海外に出ている以上、日本で働く以上に将来に対するリスクは高くなる。

明確な目標を持って、期間を決めて、生活していく必要があった。

また、自分の目標が無かったために、周りの目ばかりが気になったということもあった。

自分よりも待遇の良い駐在員、日本で働いていた当時の同期との格差。

自分の目標が無かったために、どうでも良いことばかりに気を使っていた。周りばっかり気になっていた。

周りとの格差を悲観し、そして、いつの頃からか、日本に帰りたいとさえ思うようになってしまっていた。

もし、明確な目標があれば、迷うことなく日本に帰りたいと思うことなく前に進めてはずだった。

  • 計画を立てずにタイに移住した事。
  • 明確な目標を持たず、タイで生活を始めたこと。

この二つが、僕のタイ移住が絶対に失敗だったと今改めて思う2つの理由である。

これから海外移住、タイ移住しようとしている人に伝えたい事

Bangkok

僕のタイ移住は、失敗だった。

しかし、これから海外移住しようとしている人に僕のタイ移住を反面教師として貰いたい。

僕のタイ移住は失敗したと書いたが、タイに移住した事自体が失敗したのではなく、僕のやり方に間違いがあっただけだ。

僕は今ではタイ移住を実行して、本当に良かったと思っている。

タイには日本にはない素晴らしい部分が一杯ある。

だから、タイが好きで、タイに移住したいと考えている日本人を心から応援したいし、タイへの移住も今までと変わらずおススメもしたい。

タイ移住自体が失敗したのではなく、僕のやり方が間違っていただけだ。

そして、これからタイに移住しようとしている人伝えたいことがある。

それは、しっかり計画を持ってからタイに移住し、明確な目的を持ってタイで生活していって欲しいということ。

以前下記記事にも記載したが、日本人というのは、素晴らしい人たちである。

世界に誇れるニッポンという国、そして日本人の誇り

僕が日本人だからというだけでなく、客観的に見ても素晴らしい。

これは、僕が日本での外資系企業での多くの外国人と働いた経験、そして、今海外で働き外国でも異国の人々と働いてきた僕の経験から自信を持って言えることだ。

もし、海外移住、タイ移住をしたいと考えている人は、計画をしっかり立て、目標を見失わず、日本人である事に誇りを持って海外に出てほしい。

明確な目的を持って日々行動していけば、充実した日々になる。

そして、あなたのタイ移住は成功するに違いないと思う。

最後に

本日、東関東大震災から6年の月日が経過した。

今でも6年前の今日の日は僕にとって忘れる事が出来ない。

忘れることができない悲しい出来事であった。

きっと、一生忘れる事が出来ない僕にとって非常に重要な日になってしまっているのだろう。

しかし、6年前のこの悲劇的な出来事のおかげで、海外に出れて良かったと思っている。

最悪な出来事であったが、僕にとってはタイ移住を後押ししてくれたきっかけを作ってくれた。

そして、東関東大震災がきっかけで始まった僕のこの海外移住は、本当の意味で成功するか、失敗するかは未だ分からない。

全ては、これからの自分次第の行動であるとも思っている。

これからは、明確な目標を持ち、しっかりとした計画を立て、実行していきたい。

自分の人生に誇りを持って突き進んで行きたい。