プミポン国王死去から一夜明けた翌日、タイの全てが哀悼の意を示していた
2016年10月13日プミポン国王死去から一夜明けた。
昨夜、ソファでプミポン国王を讃えるテレビ放送を見ていたまま、眠りについてしまっていた。
携帯でメールをチェックしてみたが、特に会社からアナウンスは来ていなかった。
いつもと同じように出社の準備を始め、身支度を済ませ、家を出た。
外に出て、天気は快晴ではなかったが雨は降っていなかった事が分かった。
いつもと同じように駅まで歩いていくことにした。
一見、いつもと変わらない朝だったが、人々の様子はいつもとはやはり異なっていた。
みな国王に哀悼の意を示す黒い喪服を着ていた。
道路、BTSの車内、オフィスまでの道のりの通勤風景、
みなが哀悼の意を表す服装を身にまとっていた。
プミポン国王の死を悲しんでいる事を表していた。
なんだか、どんよりとしていて、バンコクの街全体が悲しんでいるように感じた。
オフィスに到着し、周りを見渡すと、人がいつもより少なく感じたが、普段と同じように出社はしていた。
仕事も普段と同じように取り組もうとしていた。
でも、みな国王の死を悲しんでいることは、なんとなく雰囲気で分かった。
職場のタイ人もプミポン国王の死去を悲しんでいるのだと感じた。
昨日の段階で、タイ政府からは、3つのアナウンスが出されていた。
(1)全ての公的な場所、国営企業、政府関係機関及び教育機関は、10月14日より30日間半旗を掲揚する。
(2)全ての公務員及び国営企業従業員、政府機関職員は、10月14日より1年間喪に服す。
(3)一般国民は、適切な行動を考えて行動すること。
政府からは民間企業に勤める一般人に対しては、明確に指示が出ている訳ではなかった。
一般人である皆が喪服を着て仕事をしているという事は、自分の意思でプミポン国王への哀悼の意を表しているという意味だった。
会社には出社していたが、15時よりシリラート病院から王宮まで国王を移送するという予定があったため、午後からは国王を見送るため、休暇を取って王宮へ向かうタイ人が何人かいた。
僕はこの日、通常通り仕事をしていたが、取引先が休みになっていたり、担当が休んでいたりで、業務は思うように進まなかった。
プミポン国王が亡くなってしまったのだから、これは仕方ない事だろうと今日の仕事は諦めることにした。
この日、僕も仕事を少し早めに切り上げて、オフィスを後にした。
夕方、自宅に戻り、携帯でインターネットをチェックした。
SNS上にはプミポン国王が王宮へ運ばれた様子がシェアされていた。
沿道には多くのタイ人が詰めかけていた
職場では感情を露にしていないタイ人たちが、感情を露にしていた。
皆がプミポン国王を愛している気持ちを力一杯表現しているように感じた。
そして、皆、泣き崩れ、悲しんでいた。
Facebook,Twitter,LINEのアイコンは哀悼を意味する白黒にみなが変更していた。
SNS上だけでなくタイの企業ホームページもほとんどが白黒になっていた。
グーグルの検索ページも哀悼を示していた。
Lineもテーマカラーの緑から黒色に変更され、哀悼を示していた。
プミポン国王が死去された翌日のバンコクはタイ人皆、タイの全てが悲しみに暮れていた。
自分の父親を思うように、本当にみな国王が好きだった。
これからもしばらくは、悲しみに暮れていくのだろう。
プミポン国王は70年間、タイ人のために、タイという国に尽くした。
タイ人みなが感謝し、国王を心から尊敬するに至ったのは、自分の人生を全て、タイのために尽くした人物だったからだろう。
プミポン国王が残した功績はあまりに大きく、そして、プミポン国王が亡くなってしまったということは計り知れないくらいタイ人にとって大きな事だと改めて感じた。
プミポン国王がいないタイはこれからどうなっていくのだろうか。
本当に偉大な存在だったと、プミポン国王がいない日を迎えて、バンコクの街全体が悲しみに暮れているのを見て、改めて感じるに至った。