歴史的転換点を迎えたタイ〜バンコクで生きる日本人である僕が今思うこと〜
タイ国民みなから愛され、尊敬され、絶大な人気を誇ってきたプミポン国王が先週木曜日の夜に亡くなった。
プミポン国王は、タイ人みなにとって父親のような存在だった。
翌日の金曜日、タイ人、タイという国全体がプミポン国王の死を深く悲しんでいるのを目の当たりにした。
1946年から70年間もの間、国王としてタイを統治し続けてきたプミポン国王の崩御は、タイ人そしてタイという国とって大きな意味を持っていた。
この偉大なプミポン国王の死は、タイという国にとって非常に大きな歴史的転換点を迎えたことを意味する。
これからのタイの将来を危惧する人は多いかもしれない。
僕の周りにいる日本人も、タイという国の将来がこれからどうなっていくのか、不安に思っている人たちは実際多い。
2011年からタイで生活をしている僕も、今までに数多くの政治的対立を目の当たりにしてきた。
タイには色々な考えを持った人たちがいる。
数多くの市民デモ、国が二分してしまうほどの政治的な分裂。
自分の考えを主張し、互いの考えを認めず、武力的な抗争に発展してしまったこともあった。
そして、2014年には、軍事クーデターが起こった。
僕がタイに移住してからも不安定な状態がずっと続いていた。
しかし、色々な異なる考えを持つタイ人たち皆に共通している事が一つだけある。
それが、みながプミポン国王を愛し、尊敬しているということだった。
最終的に国を二分するような政治的対立もプミポン国王が解決してきた。
タイ人だけでなく、外国人である僕から見ても、プミポン国王は偉大だったと感じている。
プミポン国王が亡くなってしまったという事は、非常に大きな意味を持つ。
タイ人が大きな悲しみに暮れるのは、至極当然のことであるとも思う。
将来を不安に思ってしまうのも、仕方のない事だろう。
しかし、それは逆に意味で言えば、プミポン国王が偉大であったという意味でもある。
本当に偉大な国王だった。
これから、タイ人はプミポン国王を頼る事はできない。
タイ人そしてタイという国にはプミポンという親がいない。
今まではプミポン国王に、助けを請うていたが、もうそれはできない。
タイ人はこれから、親に依存せず、自分の力で物事を進めていかなければならない。
これからのタイ人に必要な事は、自立なのではないかと思う。
最後に、バンコクに住む日本人として今僕が率直に思う事も書いておきたいことがある。
僕は、このタイという国で生まれたわけではない。
2011年東日本大震災が発生し、日本からタイへ移住してきた日本人だ。
この国でしばらく頑張って行こうと決めたけれど、どれくらいタイにいるかは正直分からない。特に期限なども決めない状態でタイに逃げて来たのが実情だった。
タイ人と同じように、一生タイで生活しなければならないわけではない。
いづれ母国である日本に帰るかもしれない。
でも、今回プミポン国王の死去の訃報を聞き、悲しみにくれるタイ人たちを見て、もっとこの国にいたいと純粋に思うに至った。
確かにこれからこのタイという国には色々な事があるかもしれない。
国が揺れるほどの問題が起こる可能性もあるかもしれない。
でも、タイが好きだという気持ちには何も変わりはない。僕は、これからもこの国でこの国の人たちを見ていきたい。
そう思うに至った。
僕は、今まで悲しいこと、嬉しいこと、本当に色々なことをタイで経験してきた。
確かに、移住当時は大変なこともあった。タイに来て、失敗したと感じたこともあった。
良いこともあれば悪いことも経験した。
色々な経験をしてきた今、僕はタイに移住して本当に良かったと思っている。僕はやっぱりタイが好きだ。
今回、プミポン国王の死去という歴史的な転換点を目の当たりにして、タイ人の良さを僕は改めて再認識した。
タイ人がプミポン国王を本当に愛していたという事もわかった。
僕は、タイの事をまだまだ分かっていない、無知であるという事にも気付かされた。
もっともっとタイを知りたいと感じるに至った。
僕は、これからもタイで生きていく。
そして、タイという国をもっと深く知っていきたい。