世界ふれあい街歩きクアラルンプールで一日に二人の詐欺師に出会った

海外移住

マレーシアは今僕が住むタイの隣の国だ
それほど数は多くはないが、マレーシアにも仕事の関係上出張に行く。
このマレーシアという国に先日数日間出張に行っていた。

マレーシアはタイに似ていて一年中とても暖かい。
街も綺麗だし、人も優しい。そして、海も綺麗で自然も素晴らしい。

マレーシアも僕が好きな国の一つかもしれない。
そして、今回一日だけ休みがあってクアラルンプールという街を街歩きした。

海外街歩き

学生時代から数えて今までにもう何度かクアラルンプールには足を運んだ。
もうクアラルンプールの街はある程度知り尽くしていた。

でも、僕は時間があれば知っている街でも街歩きすることにしている。
数年前学生時代に訪れた時と同じ場所を歩いたりするととても懐かしい感じがする。
変わった風景や数年前に見た時と同じ風景であったり色々感じる事が出来る。

知らない街であれば地図を広げて面白そうなところをとにかく歩く。
そして、その町に住む人々を眺めたり、話しかけたりしながら街歩きを楽しむ。

既に訪れた事がある街の場合は、以前訪れた時の自分の記憶を確かめるように地図を持たないで街歩きをする。
記憶があいまいで道に迷ってしまったり、明確に覚えていて目的地にそのまま辿りつけたり、地図を持たないでただひたすら歩くのも面白い。

街

今僕はタイに住んでいるが、屋台で食べ物を買ってブラブラ歩くのも大好きなのだ。

僕はとにかく街歩きが大好きなのだと思う。

旅には色々なスタイルがある。
レンタカーを借りて車で行動範囲を広げて観光したり、自転車を借りてみたり、バイクを借りてみたり、色々な手段がある。

でも、僕はとにかく歩くスタイルが大好きだ。
なぜなら、歩いているとその土地に住む人たちと話したり、実際に同じ目線で生活を垣間見れるからだ。
風景を見たいだけであればGoogleマップを使ってしまえばある程度楽しむ事が出来る。
でも、実際にその土地に住む人々達と話したりする事は出来ない。

彼らの生活、文化、慣習に触れ合うことが一番出来るのが街歩きだと思っている。

メインストリート

そして、今回出張中に1日休暇があったのでクアラルンプールの街を歩いてみた。

マレーシアについて

カッコいい国旗

まず、マレーシアの事を知らない人にマレーシアの首都クアラルンプールについて簡単に僕の所感を説明したい。

訪れたことがある人ならば分かるかと思うけれど、クアラルンプールはとても治安が良い街だ。
夜一人で歩いていても何も問題がない。

タイよりも安全かもしれないとも感じる。
これは僕が学生時代にマレーシアを訪れた時と変わっていない。
学生時代は本当に貧乏旅行で宿もゲストハウスのような所に泊まって旅行をしていた。
そして、KLからジョホールバルまでマレー鉄道を使って旅をした。

そして、僕が初めてクアラルンプールを訪れた時に強烈に覚えているマレーシアの印象が2つある。

まずマレーシアはイスラムの国だという事。

クアラルンプールの空港に降りて、多くのイスラム教徒たちがいるのを目の当たりにした。
実際黒いスカーフで顔を隠したり、肌を露出しない民族衣装を見て少し緊張した。
注意して旅行しようと思ったのが率直なその時の印象だ。

でも、実際には何も怖い思いをしなかった。これは今までもずっと変わらない。

マレーシアは安全な国だという事。

これが二つ目のマレーシアの僕の印象だ。

実際クアラルンプールから街歩きをしていて夜も薄暗い道や人が歩いていない道も色々歩いたけれど全く危険だとは感じなかった。

しかし、今回出張で訪れ、街歩きをした際に少し不思議な出会いがあった。

ふれあい街歩き

世界ふれあい街歩き
クアラルンプールで一日に二人の詐欺師に出会った

街歩きをしていたときに二人のマレーシア人に出会った。
順にこの出会いを紹介したい。

昼下がりのブッキナナス駅でブッダに出会った

ナナス

お昼時KLタワーまで行った。

KLタワーはクアラルンプールの街を一望できる所だ。
僕はとにかく歩いた。
そして、体中から汗が出続けていた。
マレーシアもタイと同じく日差しが強くとても暑い。
東南アジアは街歩きに向いているとは全く思わないが、僕はそれでも例え暑くても歩いて回る。

KLタワーもいつものように長い坂道を歩いて向かった。
そして、一通り見学を終えて最寄り駅まで帰ろうとしたところで彼と出会った。

僕が歩いている歩道の前の方からブッダの格好をしたお坊さんが歩いてきた。
僕が坂道を下っていて、相手は坂道を上っている。
彼は僕の事を見続けて歩いてきているような感じだった。

そして、彼とすれ違いそうになる位近いところまでお互いの距離が縮まった所で、すかさず、彼が話しかけてきた。

仏教徒の彼は笑顔で『こんにちは』と英語で話しかけてきた。

東南アジアでは珍しくないオレンジ色の袈裟を着た格好の仏教徒だ。
メガネをかけていて、おそらく年は20代後半位だと思う。比較的若い感じの仏教徒だ。

海外では見知らぬ人でも声をかけたり、笑顔で挨拶を交わしたりするのは珍しい事ではない。
僕も彼の挨拶に合わせて笑顔で『こんにちは』とあいさつをした。

彼は挨拶をするなり、そのまま素通りするのではなく、立ち止まり、彼が手に持っていた一枚の写真を僕に見せてきた。
その写真にはチベット仏教の教祖であるダライラマが映っていた。

彼は写真を見せるなり、僕にこの写真の人を知っているかと尋ねてきた。
仏教に詳しくない僕でも分かる有名な仏教徒だったし、『ダライラマですよね』と彼の質問に対して回答をした。

彼は『そうだ』と答え、彼の手さげ袋の中に入っていたノートとペンを出して、ここに署名をして欲しいとお願いをしてきた。
話を聞くと、チベットが中国人の手によって大変な事になっている。
ここに署名をして欲しいとのことだった。
彼が話にしなくとも、チベット問題については僕はある程度の知識を得ている。

彼の必死そうな顔からとても署名を断れる雰囲気ではなかった。
少し気が引けたが、『署名だけならします』という事で僕は彼のペンを手に取った。
僕が彼のペンを手に取った時、彼は非常に嬉しそうな顔をしていた。

僕は彼のペンを手に取り、署名するためのノートを開いた。
そこには数多くの国の人の名前がビッシリ書いてあった。
僕と同じように彼に共感して名前だけを書いた人が一杯いた事の証拠だった。

僕も彼らと同じように日付と自分の名前を書いた。
名前の所は『桜木 花道』と漢字で書いた。
英語だろうが、漢字だろうが、重要な事は言語ではない。
誰かが書いたという事が重要だと思った。
英語ではなく、僕は自分の母国語である日本語の漢字で自分の名前を書いた。

そして、僕は名前を書いて、ペンとノートを彼に渡した。
僕は自分の中で良い事したな、こういう人が喜ぶことをもっと増やしていこうと思った。
こういう出会いも街歩きならではだと思った。
やっぱり街歩きってその土地に住む色々な人と出会えたり、話し合えたりして素晴らしいなと再認識した。

僕は目的地のブキナナス駅に向かって歩き始めようとした。

その時だった。

その時、唐突に事件は起こった。

ノートを手に取るなり、歩き始めようとする僕を見て彼はいきなり大声で『マニー!』と僕に向かって鬼の形相で叫び始めた。

彼のいきなりの豹変ぶりに圧倒されてしまい、僕はいささかビックリしてしまった。
心臓の鼓動がゆっくり動いていたところに急に鼓動が早くなってしまったような感覚だ。

一体どうしたんだ何があったんだ。
あんなに嬉しそうな顔をしていたのに、今の彼は怒りそのものだった。

彼がノートを開いてある箇所を示してきた。
ノートには数多くの国の人の名前がびっしり書いてあったのだが、その隣の欄に日付ともう一つ理解不能な数字を書いてある欄があった。
彼の話を聞くと、ここはお金の金額を記入する欄で募金をしろとのことだった。

『なるほど。そういうことか』と心の中で僕は悟った。
やっと状況の理解が出来た。
僕はこれと似たような状況をハワイ ワイキキで体験をしたことがある。
ワイキキでも見知らぬ人に話しかけられ、写真を見せられ、お金をせびられた。
その時はダライラマではなく、新興宗教の教祖か何かだった。
これと同じものだと思った。

彼は怒鳴り、怒り心頭だった。
僕はもう平静を装っていた。彼に僕はお金が無い日本人である事を説明した。

アイムプアー!、アイアムナンバーワンプアを連発した。
貧乏でございまーす!ってサザエさん風に分かりやすく彼に伝えた。

でも、彼は分からなかった。理解していない様子だった。
お金を払えとマニーの一点張りだった。

僕はこれ以上話を続けては無駄だと分かり、足早にこの場所を後にした。
彼は追いかけてこなかった。
たぶん僕が貧乏だと理解してくれたのかもしれない。

そして、後ろを振り返ると彼がまた他の欧米人の二人組の女性に写真を見せていた。
たぶん彼は片っ端からKLタワーを訪れる人に対して同じことをしているのだろう。

僕はちょっと彼に対して悪い事をしたかもしれないとも思った。
彼が本当にチベットの為に募金をお願いしていたかは分からない。
僕は貧乏でございまーす!(サザエさん風)なんて笑いながら言った時の彼の顔はなんとなく寂しげだった。

僕はサザエさんじゃない。貧乏でございまーす!なんだと思い知らされたKLタワーからの帰り道の街歩きだった。
もし、KLでこういう人がいたら、気を付けて欲しいなと思う。

夜により美しくなるペトロナスタワーを眺めていたら、初老のおばさんが声掛けてきた

夜景

僕は一通り、街歩きを終えて夜までホテルでゆっくりしていた。
クアラルンプールの夜と言えば、やっぱりペトロナスタワーのネオンが凄い。

僕は初めてペトロナスを見た時とても感動した。
ペトロナスは見たことも無いような人工物の光の輝きを放っている。
また、夜になったら見に行こうとペトロナスタワーまで歩いて行った。
そして、コンビニで水を買ってペトロナスタワーの真下でただただペトロナスが放つ綺麗な光を眺めていた。

ペトロナスの下では僕意外にもカップルやスケーターなどがいた。
スケーターは黙々とスケボーの練習をしていた。
カップルは僕と同じようにペトロナスの夜景を眺めていた。
スケーターは二人だけだったが、カップルは本当に多かった。

少し孤独を感じて、彼らカップルからは距離を置いた所に移動してペトロナスを眺めていた。

その時だった。
その時、出会いが生まれた。

1人ぼっちでペトロナスを眺めている僕に対して、女性が話しかけてきた。
女性の年齢は50歳から60歳位だろう。
マレー系ではなく、中華系の顔だちをした人だった。
おそらく宗教もイスラムではないと思う。スカーフなどもしていなかった。

彼女は僕が独りぼっちでいることを寂しく思って話しかけてくれたと思った。

『どこから来たの?』と話しかけてきた。
僕は海外旅行する際、世界の国々で街歩きする際、怪しいと思った人に対してはネパールから来たと嘘をつく。
日本人はお金持ちで優しく、色々と僕にとって都合が悪い。

でも、この女性はとても優しそうだった。
僕の親位離れている女性でなんとなく親近感も沸いた。
何よりカップルばっかりの状況で自分自身が孤独になっていた。
僕はネパール人とは言わず、自分の本当の故郷である日本 東京から来たことを告げた。

彼女は僕が日本人であると分かるととても嬉しそうな顔をした。
そして、水を得た魚の如く色々な質問をした。
東京のどこどこを知っているか?あそこはどういうところだ。あの料理はおいしいのか?
他愛も無い話だったが、僕は彼女の質問に全て丁寧に答えてあげた。

彼女はとてもうれしそうだった。

僕も彼女が嬉しそうな顔を見てとてもうれしかった。
彼女はおそらく親日家なんだろう。日本の事に詳しい。
海外に出るとこういう日本好きの親日家に遭う事が多い。
日本にいると気づかないが、日本はとてもいい国で世界中の多くの国の人が憧れる国でもあるのだ。

僕は彼女と30分程ペトロナスタワーの真下で話をしていた。
そして、彼女は僕にこう質問をしてきた。

『妹が日本に留学に行くんです。ここから近いので家に着て相談に乗って貰えない?』

僕はこの時に変な違和感を感じた。
まず、この女性は僕の親と同じくらいの年齢だ。
この女性の妹という事はたぶん50歳は優に超えている。

そんな結構いい歳いっちゃってる系の人が日本に留学なんてするのだろうか?
まぁでも勉強熱心なんだなと心に言い聞かせた。
この女性はとてもいい人なのでなんとかして力になってあげたいとも思った。

『ここに呼んでくれれば、話を聞きますよ。』と僕は彼女の質問に対して回答をした。

そういうと彼女は『それは出来ない』と答えた。
どうしても家に来て貰いたいみたいだった。

僕はここでも少し違和感を覚えた。
彼女の妹を頑なに公共の場に呼ぶ事を拒んでいた。

それからというもの、彼女と話していても常に家に来ないの連発だった。
『妹が留学で悩んでいる。話を聞いて欲しい。』

僕が頑なに自宅を訪れることを拒んでいた事を悟ったのか、終いには『妹は実は病気なの』って設定も変わっていた。

僕はもう2時間近く座り続けていたペトロナスに満足しここを後にした。
この女性は最後に僕に『ありがとう』と声をかけた。

僕はペトロナスを後にしてふと後ろを振り返った。
50歳位のこの初老の女性はまた辺りを見渡して誰か僕とは違う他の話し相手を探しているようだった。

今回のクアラルンプール出張はまた一つ忘れられない2つの出会いがあったと感じた世界ふれあい街歩きだった。

街歩きマレーシア

最後に

マレーシアは安全な国の一つであると今でも思っている。
でも、日本とは異なる海外である国であることには変わりない。
安全だと思って気を抜いていると痛い目にあう。

マレーシアは旅行する上でも本当に面白い国の一つだと思う。
でも、もし、旅行で訪れる人はこういった今回紹介した人もいる事を頭の片隅にでも置いて旅行して貰いたい。

本当に良い国だけど、日本人だからと言って吹っかけてくる人もいる。
我々日本人は優しいので彼らの為だと思って協力しようとしたところ、騙しかけたりしようとする人もいることを肝に銘じておいてほしい。

そして、僕はまたいづれ仕事で必ずマレーシアに行く。

今回出会った彼らとはまたなんとなく会う気がしている。
なんとなくまた会うんじゃないかという予感がしてならない。

もし、またクアラルンプールの街中で彼らに出会ったら再会スペシャルとしてこのブログで紹介したいと思います。