タンブンは自分が出来る範囲でみんなを幸せにするための考え方

タイのススメ

タイ人は仏教を信仰している。
国民のほぼ90%が仏教徒だ。
日本もタイと同じように国民のほとんどが仏教を信仰している国である。
しかし、決定的な違いがある。
それが、タイ人は仏教の教えに沿って強く生きていることだ。

buddist

タイ人の生活至る所で仏教は強く根付いている。

タイ人は仏教の教えに沿って生きている

タイの街中、会社には至る所にお参り用の仏像が立てられている。
その仏像の通るたびにお祈りや手を合わせたりしている。
バンコクの街中でも多くのお坊さんを見る事が出来る。
タイを旅行した事がある人でも托鉢を受けるお坊さんを見たことがあるはずだ。

Monk_Offering

宗派は異なるが、同じ仏教徒の日本人もここまで信仰はしていない。
タイ人は人生を生きていく中で仏教の教えに沿って生きていこうとしている。

そして、タイ人が強く信仰している仏教の中でも特に大切な教えとしてタンブンという行為がある。
今回このタンブンについて記載していきたい。

タンブンとは

タイ語で お布施をする・徳を積むという意味
お布施をし誰かの為に役に立てば最終的には幸せが自分に返ってくるということ。
タンブンすればするだけ、幸せが増える という考え方です

タイ人のタンブン

タイではお坊さんに托鉢をしたりして食べ物や日常品を与える。
日本で世間一般の人はお墓参りや初詣位でしかお寺にはいかないだろう。
しかし、タイ人はお寺に良くいく。
そして、お坊さんにお供え物をしたり、お祈りをする。
これも全てタンブンという考え方から来ている。

タンブンは簡単に言うと良い行いをすれば、自分が幸せになれる考えだと言える。
タイ人はこのタンブンという徳を積む行為を日々行うようにして幸せになろうとしている。

タンブンの現実

タンブンをして徳を積むようにして生きていく事。
これは、タイ人の生活に溶け込んでいる。

しかし、この考え、行為とは裏腹に実際にはタイでは犯罪が多く起こっている。
タイ人はこのタンブンという仏教の教えを大切にして徳を積むようにして生きている。
日本人は仏教を強く信仰していないが、タイほどまで犯罪は起きていない。

crime

タイでは日本よりも犯罪が多く発生している原因は簡単には説明できない。
日本にはない貧困から来ているという所もあるだろう。
もしくは日本人が本当に優れた民族なのかもしれない。
答えは分からない。

しかし、仏教の良い教えを強く信仰しているはずのタイの方が日本以上に犯罪が起こっている。
これは矛盾している点と言えるかもしれない。

そして、タンブンを自分のいいように解釈しているタイ人が多いのも実情だ。
人を騙してもタンブンをすればチャラになる。
悪い事をしてもタンブンをすれば水に流せる。
このように考えているタイ人も多い事は事実だ。

タイは急速に経済発展しているが、まだまだいろいろな格差や貧困などの社会問題がある。
犯罪もまだまだ多く発生している。

タンブンという仏教の良い教えに沿って生きているタイ人ではあるが、タイにはまだまだ色々な問題があるのが実情だ。

タンブンはお互い徳を積み、みんなを幸せにする事

タイのお坊さんは基本的には自分のお金で物を買う事は出来ない。
托鉢は一般のタイ人がお坊さんに食料や生活用品を与えることによって行うタンブンだ。
お坊さんは托鉢を受ける事によって、日常に必要な食べ物や生活用品を手に入れないといけない。
自分が日用品を自分で手に入れられないようにして、一般のタイ人が托鉢を出来るようにする。
これは一種の修行であり、お坊さんにとっての善行、タンブンでもあるのだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

そして、お寺には至る所に寄付用の箱やお金を付ける紐がある。
お金を寄付するという形でお布施をする。これもタンブンだ。

お布施

お布施をする事によってお坊さんからお経を読んで貰う。
そして、教えを説き示し、悩めるもの、幸せを願う者の為に恐れ・不安を除いてやる。
一般のタイ人の為にお経を読んだり、幸せを願う事はお坊さんにとってのタンブンでもある。

ここで何が言いたいかというと、
タンブンはお布施を与える側も受ける側も徳を積めるという事。
タンブンはみんなを幸せにすることなのだ。

タンブン

みんなを幸せにするために自分が出来る事をする

最後は私のタンブンについての個人的な考えを記載したい。
タンブンはすればするほどいいものではない。
量が多く、質が高ければいいものではない。

thai-money

簡単に言うと100万円のお布施をする事と1万円のお布施をする事は同じだと考えている。
1億円の年収の人が100万円のお布施をする事は100分の一の値段。
これはそこまで大変な事ではないだろう。
いっぽう、500万円の年収の人が100万円のお布施をする事は年収の2割を占める。

beggar

大切な事は自分が出来る範囲で他人に何が出来るかと考える事だと思う。

A man giving his shoes to a homeless girlという1枚の写真

ブラジルのリオデジャネイロで撮られた一枚の写真がある。
一時期ツイッターで心温まる写真として海外で非常に多くのツイートをされ有名になった写真だ。

Begger

ブラジルは小中高とサッカーをしてきたサッカー好きの自分にとっての死ぬまでに訪れたい憧れの土地でもある。

2014年のFIFAワールドカップ、そして、この写真のリオデジャネイロが開催地である2016年のオリンピックも控えている。

タイと同じように経済発展著しい南米の国の一つだ。
しかし、このブラジルでもタイと同じように絶対的な格差が存在していて、貧困が蔓延っている。

自分にできる事をする

この写真に映る女性は履く靴すらもない
おそらくまだ高校生位だろう。
女性ならだれでもオシャレをしたい年頃だ。
この写真に映る女性の服はオシャレとは程遠い、汚れて擦りきれている。
目に手を付けて下を向き、泣いている。
そして、生きていく事に絶望しているように見える。

この女性に初老と思われる白人の男性が自分の靴、サンダルを差し出している。
おそらく自分が履いていたものを差し出しているのだろう。
この男性は自分が裸足になってでも、この女性に何かしてあげたいと考えた上での行動だと思う。

サンダルではなく、お金を渡せば、汚れてしまっている服も買ってあげられたかもしれない。
食べ物を与えられたかもしれない。
この写真の男性はおそらく男性自身も裕福ではないと考えている。
そして、男性が出来る範囲での唯一の手助けがサンダルを差し出す事だったと思う。

タンブンにも同じことが言える。
自分が出来る範囲で他人の幸福を願って行動するべきなのだ。

最後に

タンブンを行えば、そのような善行はいづれ自分に返ってくる。

お布施などをしてホームレスやお坊さんにお金を渡すべきという話をしているつもりではない。

私は神様なども信じていない、熱心な宗教家でもない。

でも、自分が行った行動は良い行動、悪い行動含めいづれ自分にしっぺ返しのようにかえって来ると思っている。
この考えはタンブンと似ている。

自分が出来る範囲で良い行いをすれば自分に幸せが返ってくる。
私はこの最後の一枚の写真の男性のように自分のサンダルを差し出巣までの行動は出来ないかもしれない。
この男性は自分が出来る範囲以上の事を他人に対して行っているともいえる。
このような男性でありたいと思う。

タンブンをして、自分の為でも他人の為でもいい。
大切な事は少しでも多く、みんなが幸せになる事を願い、良い行いをしていこうという考え方だと考えている。

自分がした良い行いは自分に幸せとして返ってくる。そして、それは自分が他人にした以上の幸せが返ってくると思う。