放射能から家族を守る為、千葉の海を離れたプロサーファー”真木勇人”
福島原発事故から数年が経つ。
原発から放射能が漏れ続けている。
日本の海、特に太平洋が汚染され続けている。
しかし、汚染され続けている状況とは裏腹に海にはサーファーが戻ってきていると聞く。
今では何事もなかったかのように多くの日本人が北茨城 日立から南は千葉 平砂浦の太平洋沿いでサーフィンをしている。
みな原発事故などなかったかのように多くの日本人サーファーが海に戻ってきているようだ。
そんな話を日本の友人に聞くと、
正直私も日本に戻って太平洋沿いでサーフィンがしたい。
私にとって日本に戻りたいと強く思う唯一の理由がサーフィンだ。
私自身、今思い出しても楽しかったサーフィンの思い出ばかりだ。
特に千葉での思い出は多い。
千葉は日本でも随一のサーフィン地域だ。
千葉のサーフィン事情
千葉は太平洋に面していて常に波がある。
日本のプロサーファーを最も生み出している地域でもある。
日本でおそらく最もレベルの高い志田下というポイントもある。
サーフィンの世界ツアーであるWCTが部原やマリブでも行われた事もある。
湘南サーファーも波が無いときはこぞって千葉へサーフィンをしに行く。
湘南ではサーフィンを出来る良い波が立つ日が少ない。
波が良くても世界一と言っても過言ではない程人が集まり混雑する。
波が良くても人が多すぎて楽しめない、余り乗れないなんてことはしょっちゅう起きる。
湘南在住サーファーは目の前に海があるのに、200KM近くかけて千葉へサーフィンしに行くのだ。
コンスタントに波があり、且つ良い波が立つのが千葉だ。
サーファーにとって千葉は非常に有名なポイントだ。
真木勇人
サーファーにとって最高な環境の為、千葉沿岸に住むプロサーファーは非常に多い。
今回紹介したい真木勇人というサーファーもハワイから千葉へ移り住んだサーファーの一人だ。
真木勇人の家族
真木勇人は歌手のマイク真木の次男でラッパー、俳優の真木蔵人の兄弟。
ちなみに真木蔵人は芸能人の中でずば抜けてサーフィンが上手いサーファーだ。
芸能人も数多くサーフィンをする人がいるが、その中でもずば抜けて上手い芸能人サーファーだ。
日本人サーファーであれば、だれもが真木蔵人の実力を認めていると思う。
真木勇人はサーフィンの大会には出ないプロサーファーだが、数多くのスポンサーが付いており、サーフィン雑誌などで世界中をトリップしている。
顔がイケメンで180CM近くありスタイルも良い為モデルなどもこなしている。
綺麗な奥さんもいて、二人の子供居る。
私は真木勇人をサーフィン中に見掛けた事もあった事も無いが、真木勇人以外の真木勇人の奥さんやマイク真木、真木蔵人、真木泰人は千葉の太東であるパーティに参加した時に会った事がある。
その時に真木勇人はカリフォルニアへサーフトリップ中でそのパーティには参加していなかった。
とても残念な気持ちになった事を強く覚えている。
真木勇人のブログ
ブログもやっており、パプアニューギニア、アメリカ、メキシコ、世界中でのサーフトリップをブログに残している。
サーファーとして色々な国を旅してめちゃくちゃ良い波を乗っている姿を見る事が出来る。
純粋にサーファーとして理想的な羨ましい生活を送っている。
http://hayatoblog.naturadoor.com/
真木勇人の10のルール
真木勇人は以前テレビ番組にも出演して彼が持つ10のルールについて説明していた。
かなり羨ましいルールだと思った。
特にRule1と5と6。自由人ならではのルールだと思った。
【Rule1】その日の予定はその日にたてる
【Rule2】片手で持てるゴミは拾う
【Rule3】年齢は聞かない、教えない
【Rule4】遊びにお金をかけない
【Rule5】毎日昼寝
【Rule6】ネクタイは締めない
【Rule7】出来る限り自給自足
【Rule8】毎日子供とチュー
【Rule9】月1回、家族とBBQ
【Rule10】幸せの数を数える
マイク真木、真木蔵人、真木勇人の真木一家は家族全員千葉に住んでいた。
おそらくみな千葉の海に魅了されて移り住んだんだと思う。
それほどまでに千葉の沿岸はサーファーに取って非常に魅力的なエリアなのだ。
2010年 原発事故以前に千葉の夷隅ポイントでサーフィンする真木勇人
私の憧れだったサーファー
私は大会などには出ず、色々な国でサーフィンをして旅をする真木勇人のスタイルに憧れていた。
そして、真木勇人はサーフィンだけでなく、ダイビング、素潜り、釣り、カイトサーフィンも行い、海を愛するウォーターマンでもあった。
彼の影響で私もサーフィンだけでなく、ダイビングもするようになった。
少しでも真木勇人に近づきたいという想いがあった。
原発事故後に取った真木勇人の行動
私はこのサーファー 真木勇人が大好きだった。
そして、大好きだったサーファーをさらに尊敬することになった。
それが、原発事故が起こった後の彼の行動だった。
彼は原発事故後に長年慣れ住んだ千葉を離れる決心をして沖縄に移住するのだ。
詳しい時期は覚えていないが、おそらく2011年5月頃だったと思う。
おそらく千葉の方がサーフィンをするコンディション、環境は沖縄よりいいはずだ。
沖縄はビッグウェーブが立つが、潮の満ち引きでサーフィン出来る時間帯が限られてしまう。
モデルや仕事をする上でも都内に近い千葉で生活をした方が良かったと思う。
友達や知人も千葉の方にいっぱいいたと思う。
全ては家族の為、子供の為に千葉を離れる決断をしたのだと思う。
そして、真木勇人は原発、放射能の危険性を何よりも心得ていたのかもしれない。
すこしでも子供にリスクを与えない為に移住をしたのだと思う。
最後に
真木勇人は原発、放射能から家族を守る為に移住をした。
私にとって真木勇人は純粋にサーファーとして憧れる存在であったが、
原発事故後はこのような家族思いの人間になりたいと思わせるサーファーとしてだけでなく、人間として尊敬出来る人になった。
真木勇人のようなサーファー、人間になれるようにこれから努力していきたい。