海外移住した日本人から見るアラブの春そしてシリア難民報道
連日シリア内戦に関連したニュースが報道され続けている。
シリアでのISISの残虐行為、アメリカ主導による空爆、ロシア軍のシリア介入。
シリアの激化する内戦から国民が難民と化し、自国から逃げ出す悲惨な事態となっている。
シリアの国民は約2000万人。
難民の数は国民の5分の1近くおおよそ400万人が隣国のトルコそして外国へと逃げ出す事態となっているのだ。
5人に1人は海外に逃げ出すような状況がどのようなものなのかは想像がつかない。しかし、悲惨な事態となっていることは容易に想像できる。
このシリア難民報道は日本のみならず、今僕が住むタイでも報道され続けている。
僕自身も連日シリア内戦に関するニュースを目にしていたから、シリアの状況が日に日に悪化していることは分かっていた。
しかし、内心は遠いアラブの国の出来事であまり自分には関係のない世界だと思っていたのが実情だった。
あるシリア人の男の子の写真
そんな風に思いながら特にシリアの事など気にもせず、日々の日常を生きていた。
仕事に没頭したり、友人と食事に行ったり、遊びに行ったり、公私ともに何一つ今までと変わらない日常を生活していた。
しかし、ある1枚の写真を見てからシリア問題について深く考えるに至った。
遠い国の出来事だと思っていた僕の心情を大きく変える1枚の写真を目にして深く考えさせられる写真。
ここには記載しないけれど、この写真を見て衝撃を受けた人はきっと多いはず。
その写真とはある男の子が浜辺に打ち上げられて水死している写真だ。
この男の子はシリア人でシリア内戦が激化した母国であるシリアを飛び出し、家族とヨーロッパに向けてボートに乗った。
おそらく、ヨーロッパのどこかの国で家族と幸せになることを夢見てシリアを出て外国に渡ったに違いない。
しかし、現実は悲惨だった。
トルコからギリシャへ向かっていた彼らの乗るボートは最終的に転覆してしまい、母親や兄そして、この3歳の男の子が死亡してしまう事態に至った。
ヨーロッパの沿岸、波打ち際に打ち上げられた子供の写真は衝撃的だった。
自分の国を捨て、命を懸けて危険な道を選んでいるシリアの国民達。
そして、まだ3歳のこんなにも幼い子供までもが犠牲になっていた。
自分の国を捨て幸せになる事を願って外国に逃げ、無残な姿となった子供の写真をみて、強く感じる事があった。
なぜなら、僕自身がこの3歳の水死してしまった男の子と同じように外国で暮らそうと夢見て母国である日本を飛び出したからだ。
置かれている状況は明らかに異なるが、母国を飛び出し、海外に出たという点ではこのシリアの男の子そして多くのシリア難民たちと僕は共通していた。
今回は世界で今もっとも悲惨な惨状が繰り広げられているアラブの国シリアの難民について海外移住した日本人である僕が強く感じる事を記載していきたい。
アラブの春そして、シリア難民
今世界中でシリア難民の報道が大々的に報道されるようになった為、シリアが大変な事になっている事を知る人は多いだろう。
シリアの内戦激化の原因はイスラム国の仕業だけではなく、もっと深い歴史的なバックグラウンドから来ている。
まず、シリアでなぜこれほどまでに難民が発生してしまっているか経緯を説明していきたい。
元々シリアに難民が発生したのは2010年からアラブの春というアラブの国々である中東全体で起こった革命、政変に端を発する。
一人のチュニジア人男性の死とジャスミン革命
アラブの春をご存知の方はどれくらいいるのだろう。
アラブの春を知らない人のために、まずアラブの春を説明したい。
アラブの春とは2010年から中東アラブ世界の国々で起こった革命を総称した言葉。
今から5年前の2010年に始まったチュニジアのジャスミン革命から、アラブ世界に波及した革命の総称だ。
2010年12月17日今から約5年前にチュニジアの中部の街シディブジドにて26歳のチュニジア人男性モハメドが野菜、果物を街頭で販売していた。
彼が売っていた野菜は路上で販売の許可がないとして、チュニジアの警察がこれを摘発し、彼が売る路上の商品を没収をした。
そして、この警察の行動に抗議するために路上で野菜を売っていたこの男性は自らにガソリンをかぶりかけ、火をつけ、焼身自殺を図った。
そして、26歳という若さで自らの人生に幕を閉じた。
たかが、野菜を売る事を禁じられ、焼身自殺までしてしまう事を不思議に思う人はいるかもしれない。
しかし、チュニジアでは20%近い高い失業率が背景にあり、この男性のように街頭に出て、違法にモノを売り、生計を立てる失業がも多かったという背景があった。
生きる為に仕方なく、街頭に出て。そして、モノを売った。
食べていくため、生きていくためには仕方なかったことだったのだ。
彼は生きていくために人からモノを奪ったり、殺人を犯したわけではない。ただ、違法に野菜を売っていただけだった。
これを奪ったら彼は自殺するしかないくらいの事だったのだと思う。
我々日本人からしたらあり得ないことかもしれないが、こういった貧困にあえぐ人たちは世界で多い。
僕が住むタイでも街頭で違法にモノを売っている人たちは多いのが実情だ。
こういった光景は日本ではほとんどいないが、海外では普通のことであったりもする。
そして、この一人の男性の死が彼と同じように不遇な生活を強いられている若者を中心に、職の権利や発言の自由、そして独裁政権の腐敗の追及を求め、チュニジア全土でストライキやデモを起こすきっかけになった。
次第にこの1人の男性の死を持って訴えた主張を発端とするデモは若者中心であった活動からチュニジアでの全年齢層に拡大した。
チュニジア全土で不遇を嘆く市民で構成されたデモ隊とチュニジア政府当局による衝突で死亡者が出るなどの事態となった。
やがて高い失業率に抗議するデモは、腐敗や人権侵害が指摘されていたベンアリー政権の23年間にも及ぶ長期独裁政権体制そのものに対するデモとなり、急速に発展していった。
その後、瞬く間にチュニジアの政権は崩壊した。
これが俗にいうチュニジアでおこたジャスミン革命と言われるものだ。
そして、この中東の一国で起こった市民革命はチュニジアだけで終わらなかった
チュニジアでの一連の出来事は、瞬く間にアラブ諸国へ伝わった。
それはもう凄いスピードで他の国から国へと伝染病のように市民革命が連鎖していった。
ヨルダン、エジプト、バーレーン、リビア、イエメン、その他多くのアラブ地域へと伝わっていったのだ。
ITがもたらした中東の国々での革命連鎖
チュニジアでの一連の出来事(ジャスミン革命)は、瞬く間にアラブ諸国へ伝わった。
- ヨルダン 革命によるサミール政権崩壊
- バーレン 反政府運動バーレーン騒乱
- イエメン サーレハ大統領が権限を委譲し辞職するに至ったイエメン騒乱
- エジプト エジプト革命によるムバラク政権崩壊
- リビア カダフィ長期独裁政権崩壊
そして、今もなお続くシリアでの現政権打倒を目指した内戦
これらのアラブ諸国で起こった革命がいわゆるアラブの春と言われる革命だ。
革命とは良く聞く言葉であるあ、どのような行為を指す言葉だろうか?
革命についても記載しておきたい。
革命の意義
革命とは本来物事の上下関係が崩れるような出来事を指す言葉。
おそらく革命と聞いて一番有名な革命はフランス革命と産業革命だろう。
フランス革命は社会的に弱者であった市民が絶対的な権力だった政権を倒した時に用いられた。
産業革命は技術革新により手工業が機械工業に変わり、産業構造が大きく変わった時に用いられた。
この二つの革命に共通しているのは、社会構造が大きく変わった事。
革命とは、今までの常識を覆すような大胆な変革があった際に用いられる言葉なのだ。
そして、このアラブの春で起こった一連の市民運動も革命として用いられる事になった。それは今までの独裁政権を次々に破壊していったからだ。常識を覆す社会構造の変化がアラブの春で中東各国で起こったのだった。
チュニジアのジャスミン革命を発端に多くの国で政権を崩壊させる革命が連鎖していった。
なぜ一刻に限らず、これほどまでに革命が瞬く間にこれらの中東の国々で広がって行ったのだろうか?
それにはITの影響があった。
IT革命がもたらしたアラブの春
今回革命がおこったアラブの国々の市民は長年圧政により苦しみ続けられてきた。
そして、このアラブの春で一つの武器としてFacebookやTwitterが弱者の市民の間で使用され、国民感情を高め、革命を起こす機会となったのだ。
1人の男性の死が瞬く間にインターネットを通じて全アラブ市民へと伝わって行った。
実際僕も海外に生活しているが、このIT革命の恩恵を強く受けている。
海外に居ても日本にいる時と同じ時間で日本で起こった情報を手にすることができ、海外からでも自分の意見を主張することが出来る。
スマートフォンさえあれば、いつどこにいても同じ情報を発信できる。
大きな力をもったメディアなんかよりツイッターで情報収集した方が絶対に早い。
これらアラブの国では元来テレビなどのメディアも政権によって放送できる内容が限られていた。
そして、市民生活の中でも秘密警察と言って市民を監視する政府関係者が至る所に存在していた。
しかし、ITがこれら全てをぶち壊した。
市民の本当の意見、気持ちをITを使う事によって爆発的に国民感情が広がり革命を巻き起こす事態となった。
何の発言権もなかった一般市民がITを使用する事によって自分の本当の意見を言い、それに共感する国民達が立ち上がったのだ。
1人の26歳のチュニジア人男性が決死の思いで焼身自殺した出来事が瞬く間にチュニジア中にシェアされ、そして、
1人の男性の死そしてITが国民の感情をアラブ世界へ広げていったのだ。
なぜ、中国政府がFacebookやTwitterを中国国内で使用禁止にする事の意味がこれからも分かると思う。
ITの力は恐ろしく、そして一致団結した市民の強さはすさまじい。
インターネットで情報規制をする中国政府は十二分にITの怖さを認識している裏付けにも見える。
話は少しづれてしまったが、この中東各国で起こった革命はITがもたらした革命とも言えるのだ。
アラブの春の個人的見解
ここで、僕の個人的な意見も述べておきたい。
このアラブの春は中東の国にとって本当に良い出来事だったのかは疑問に思っている。
この宗教、民族、ガスや石油利権に複雑な中東地域はカダフィ、ムバラク、サダムフセインのような一般的に暴君と呼ばれる独裁者でしか統治することが出来なかったのではないのかと思っている。
実際にこれまでにも多くの戦争がこの地を舞台に行われてきた。
革命後彼ら独裁者がいなくなったこの土地の混乱に乗じて、ISISという暴君の独裁者よりも過激な集団が生まれてしまった。
当事者ではなく、第三者としての意見なので正義は分からない。
しかし、イスラム国の残虐ぶりやシリアで苦しむ人たちの写真を見る限りそのように感じてしまう。
そして、アラブの国々で起こった革命の連鎖は今もなお続いている。
もっとも深刻な状況に陥っているのが冒頭で説明したシリア人の男の子がなくなってしまったシリアである。
シリアでは2011年のオレンジ革命からずっと政情不安、内戦が続いている。
アサド政権と反政府派、そして、イスラム国をも巻き込んだ内戦、全世界の国々も介入する第三次世界大戦をも巻き起こしかねない世界を巻き込んだ紛争地帯となってしまっている。
今回犠牲になった3歳の子供すらも危険な道を歩まなければならないほど悲惨な状況に今なお現在進行形で陥っている現実がある。
何の罪もないシリア国民は自国で生活することが困難となり、命からがら自分の国であるシリアを捨て自国を出て行っているのだ。
海外に移住した日本人
シリアの状況は今なお予断を許さない深刻な状況となっている。
次に彼らシリア人と同じく海外、外国へと出た日本人である僕の事を記載したい。
簡単に僕の経歴を紹介したい。
僕は2011年まで日本の東京で生活をしていた。
話を少し過去に遡ってみたい。
僕が中学三年生の時には皆が高校受験のため猛勉強を始めたから、僕も周りに合わせて勉強した。
皆が勉強しているから、僕の中で高校に行かないという選択肢はなかった。
僕も周りに合わせて勉強をして高校に入学した。
僕が高校三年生の時には皆が大学受験を始めた。
皆が勉強しているのにお前は勉強しているから、僕の中で大学に行かないという選択肢はなかった。
僕も周りに合わせて勉強をして大学に入学した。
僕が大学三年生の時には皆が就職活動を始めたから、中学や高校の時と同じように僕も周りに合わせて就職活動をした。
皆が就職活動をしているのにお前は社会人にならないという選択肢はなかった。
僕の中で大学を出たら就職をしないという選択肢はなかった。
そして、多くの日本人と同じように期待と不安に胸を膨らませて社会人生活が幕を明けた。
よくわからなかったけど、僕は社会人になるまで多くの日本人と同じようなことをしていた。
別の言い方をすると、2011年までほとんどの日本人が通るであろう一定のレールのような道をずっと歩いていた。
いつも回りの目を気にしていたのかもしれない。
周りと同じことをするようにずっと心がけて生きてきた。
なんとなく、教科書に載っていそうな本当に世間一般の人が容易に想像できる人生を歩んできていた。
大学卒業後は外資系企業に就職した。
年単位で契約破棄、実力や成長する見込みがなければ直ぐクビにされるような環境であったので他の一般的な社会人が進む道とはちょっと様相は異なるかもしれない。
実際僕の周りの先輩や外人プロマネなどは解雇宣告を突然宣告されていたりもしていた。
そんな環境であったので仕事は精いっぱいやっていた。
終電なんて言うのは当たり前で会社にキャンプ生活するような仕事に没頭するような生活をしていた。
社会人になり2年ほど周りの友人と同じように社会の波に揉まれながら、仕事や生活をしていた。
そして、2011年に海外に出た。僕の中で海外に出たこと自体は大きなことではない。
大義名分も無かった。
2011年までは本当に世間一般の日本の若者と何一つ変わらなかったと思う。
しかし、僕は今タイという日本とは異なる海外の国で生活をしている。
他の世間一般的な日本人とは大きくレールを外したといえる。
僕の周りの大学時代の友人は今もみな日本で生活をしている。
一般的な日本人としてはあり得ない道を歩いているのかもしれない。
周りにいる外国で暮らす日本人
今まで周りの目ばかり気にして、周りに合わせて生きてきた僕がなぜこんなにも普通とは異なる道を歩いているのか?
なぜ、今まで世間一般の日本人と同じ道を歩むことを正としていた僕が大きく道を外したのか?
また、なぜ外れた道を歩き続けているのか?
気になっていた。
なぜ僕は海外にいるのか?
そして、周りの人の多くもなぜタイに来ているのか?
これはとても気になることだった。
今までにも多くの海外に住む日本人に質問をしてきた。
なぜタイに来ているのか?
なぜ異国の地で生活をしつづけるのか?
これは僕自身が本当に気になっていたことだったから、なりふり構わず皆に同じ質問をした。
正解はいったい何なのか?ゴールはどこにあるのか?
僕自身深い理由があったわけではない。
そして、質問をした誰かにこの答えを求めていたのかもしれない。
色々な理由があった。
人それぞれ、海外に出た理由、タイへ移住した理由、そして生活し続ける理由は千差万別だった。
一概に皆が同じ理由とは当てはまらないことが分かった。
皆それぞれに自分の意志で決断し、目的を持って生活をしている。
そして、タイに居続ける人もいれば、日本に帰る人もいる。
共通しているのはみな自分で人生を選択して、自分がしたいことをして生きているように感じる。
振り返ると、これは周りの目を気にしていた僕自身も同じだった。
自分が海外に出たいと思って出て、生活をし続けている。
ここにシリア人とは決定的に違う部分があると強く感じた。
海外移住した日本人から見るシリア難民報道
僕自身が海外に移住した日本人であり、今までに多くの海外に出た日本人たちと出会ってきた。
近年報道されているシリア難民の報道を見て海外に移住した日本人の僕は強く感じる事がある。
難民になり外国を目指すシリア難民と僕のような海外に移住した日本人は外国に向かったという点では共通している。
しかし、シリア人の状況そして僕の状況を振り返ってみると、決定的な違いがあった。
それが、日本人は自分の意思で外国に行ったという事。
シリア人は自分の国を出なければならない状況に陥ってしまい、外国に出た事。
明らかに異なるのは僕は自分の意思で外国に行き、そして、居続ける事も出来て、帰る母国もあるという事だ。
先日、タイバンコクで不法滞在していたウイグル族が中国に強制送還される出来事があり、
これに端を発したと思われる無差別爆破テロがバンコクで起こった。
ウイグル族も自国中国では蔑まれた存在で命からがら外国であるタイに逃げてきたと言っていいだろう。
自国で弾圧を受けて逃げていたにも関わらず、彼らウイグル族は強制送還をされてしまった。
シリアのみならず、このように自分の国に居られなくなった人たちは世界に多い。
自国で迫害されているだけでなく、外国でもこういった差別、ひどい扱いをされてしまっている人たち。
僕ら日本人は大学に入って、就職して、結婚してといったある一定のレールの上を歩くことが出来る。
僕のようにレールから外れて海外に生活することも可能だという事。
外国の土地でも何不自由なく暮らせ、差別や迫害など一切されない。
そして、いつだって日本へ戻ることも可能だという事。
これは何より僕が日本人だったという理由に他ならない。
日本人そして日本という国が素晴らしい国だと強く感じる。
こういった国は実は世界では少ない。
悲しいことだけれど、シリア難民は選択の余地なく母国を出なければならない事態に陥った。
シリア難民を見て、日本人であることに改めて感謝し、そして、日本に生まれた事に感謝しなければならない。
そして、同じ時代に生きているのに生まれた国が違うだけでこれほどまでに異なる人生を歩まなければならないのかと不思議に強く感じた。
最後に
昔読んだ紀行小説にユーラシア大陸を旅したバックパッカーの本でアフガニスタンとシリアが最高だったと書かれていた事を覚えている。
アフガニスタンも広大な土地や山脈など自然が溢れる美しい国で、シリアはペルシア宮殿など歴史的な建造物が多い。
歴史が好きな人はシリアを訪れたいと思っている人は多いと思う。
しかし、いまこれらの地域はずっと紛争が続いている。
もう何年も紛争地帯となってしまっている為、旅行で行ける国ではなくなってしまっている。
本当は素晴らしい地域であるのに、こういった悲しい悲劇が繰り広げられる地域として知られてしまっている。
これらの紛争地域、戦闘国で暮らす市民はどうする事も出来ず、難民となってしまう。
冒頭で紹介した亡くなってしまった3歳の男の子の写真は氷山の一角に過ぎない。
僕自身がこの一人の男の写真をきっかけにインターネットでその他多くの子供達の悲惨な状況の記事、写真を目にした。
あるカメラマンがカメラを向けた所降伏するポーズを見せた男の子。
両親を目の前で斬殺された女の子。シリア内戦で傷つき、「全部かみさまにいいつけてやるんだから」と言い残して亡くなってしまった男の子。
多くの子供が犠牲になっているという現実がある。
もしあなたも見た事が無ければ一度インターネットで見てみる事もいいかもしれない。見るに堪えない画像、読むに堪えない記事があるが、こういった現実が世界で行われていることを認識すべきだと感じる。
僕自身には子供がいないので親の思う気持ちは分からない。
しかし、自分の子供でなくとも、親の感情が分からなくとも、このようなシリアの子供たちの姿を見て、胸がとても苦しく感じる。
彼らシリア人と日本人の違いはただ生まれた地域、国が異なっただけだ。
同じ人間なのに、同じ時代を生きているのにこれほどまで異なった環境と人生を生きていることを不思議に思う。
シリア人の歩んでいる人生に比べたら、日本人である僕の人生は本当に恵まれている。
シリア人の苦しみから比べたら、僕の苦しみなど本当に下らないことだ。
シリア人やシリアの為に何かしたいと言っても僕にはシリア人を助けるような事は難しい。
残念ながら、シリアの人達に何か直ぐにできるという訳では無い。
僕自身がシリアに行って人道支援や難民を世話をする力などはない。
一刻も早くシリア、中東の地に平和が訪れる事を願うくらいだ。同情する位しか出来ないのが現実だ。
でも、僕やあなたにも一つだけ直ぐに出来る事があるとも感じている。
それが、今を感謝し、周りにいる人を少しでも幸せにすること。
シリアのみならず、僕たちは争いや憎しみが多い世の中に生きている。
日本を例に挙げると、日本と韓国、日本と中国。
紛争にまでは至ってないけれど、いつもお互いの領土や利権や主張の食い違いが起こって喧嘩をしている。
国としてお互い色々と問題はある。
でも、市民間では日本人と中国人のカップル、日本人と韓国人のカップルや家族は実際に存在している。
上手くいっているカップル、結婚して幸せになっている人たちも大勢いる。
これは日本と中国、日本と韓国だけではない。
文化、民族、人種、宗教が異なるカップル、家族は世界に山ほどいる。
上手くいっている人たちは、みなお互いの違いを認め合いながら生きていっている。
同じ人しかいない世界はとてもつまらないものになると思う。
こういった文化や民族の違いがあるからこそ世界は面白い。
自分が異なる考えの人と出会ったり、話し合う事が海外移住の醍醐味でもある。
紛争や戦争は元々お互いの違いを認めない所から来ている。
宗教とか歴史とか複雑なバックグランドはあるけれど、簡単にいうと、お互いを認めない子供の喧嘩のようなものなのだ。
お互いの違いを尊重しながら、生きていけばきっと紛争も無くなるという事。
しかし、これは1人の力では大きく変えていく事は出来ない。
人類が歴史上ずっと戦争を繰り返してきたように一人では戦争を無くすことはまず出来ないだろう。
でも、自分の周りで出来る小さな幸せやお互いを思いやる気持ちが少しづつ世の中を変えていけるような気もしている。
なぜなら、アラブの春はたった一人の男性が起こした行動によってアラブ世界全体を巻き込む今までの常識を覆す革命に繋がった。
アラブの春という歴史を見ていくと、もしかしたら、僕たち一人ひとりの行動が戦争を無くすことが出来る程の革命になるかもしれないと感じる。
自分が出来る小さな幸せや思いやりを積み重ねていくべきなのではないだろうか?
シリア人に対して直ぐに何かが出来るわけではないけれど、周りにいる人達には何かをする事が出来る。周りが幸せになるように心がけて生きていきたい。
そして、自分の周りで出来る小さな幸せの連鎖が、アラブの春で市民たちに革命を起こしていったように、世界に広がって行ったらいいのになと思う。