[世界仰天ニュース]タイバンコクの絶対ご臨終したくない病院
日本の医療施設はとても素晴らしい。
なぜなら僕が今まで色々な国の医療、病院を見て来たからこそ、こう断言出来る。
今までに本当に色々な国を旅してきた。
旅先で体調を崩してしまい、病院の世話になってしまうこともあった。
海外で病院の世話になるたびに日本の病院、医療制度はとても素晴らしいと感じた。
インドネシアでは実際に点滴を打つほどまでに体調を崩したこともあった。
その時も頼りない施設に収容され、衛生面などもとても信頼出来るものでは決してなかった。
保険制度なども考慮すると世界一の医療技術を備えるアメリカよりも上かもしれない。
アメリカは救急車呼ぶのも大金が掛かる。
日本はそんなこと大金の事なども気にせず何かあったら救急車を呼ぶことが出来る。
実際消防に勤める友人の話を聞くと、重い病状でもないのに直ぐに救急車を呼ぶ人は多いようだ。
これは何より日本の医療制度の素晴らしさを物語っている。海外で簡単には出来ない。
日本は医療制度も本当に素晴らしい国だと感じる。
旅が好きだった僕は今タイのバンコクで生活をしている。
海外で生活していると,より一層日本の病院・医療制度のすばらしさを感じる事が出来る。
僕は自分でも身体が丈夫な方だと思っているが、海外で生活を始め今までにも何度も身体を壊してきた。
タイでも病院の世話になってしまうことも今までに多々あった。
海外で生活をしていると日本の医療が素晴らしいと殊更強く感じる。
今回は海外旅行、海外居住者にとって切っても切り離せない病院・医療について記載していきたい。
タイの病院事情
今僕が住むタイバンコクは世界でも有数の病院施設が整っている。
世界には200近い国と地域がある。
先に述べたように日本の医療は素晴らしいと述べたが、タイも世界の国々と比較しても医療施設はトップレベルに位置すると感じる。
わざわざ、近隣諸国の外国からタイにまで訪れ、手術や検診の為だけにバンコクにまで足を運ぶ人達もいるくらいだ。
日本人にも有名なサミティヴェート病院、バムルンラードインターナショナル病院、バンコク病院、ラーマ9世病院などは日本とほぼ同等レベルの施設を構えている。
日本人に有名でないタイローカルの病院も中級レベル以上の所であれば何不自由ない施設が用意されている。
タイは世界でも有数の医療機関を整えた国であるのだ。
僕自身、タイに来た当初、タイの慣れない食事にお腹を壊しては、何度も病院に足を運んだ。
デング熱にかかり体調を崩し、入院したこともあった。
そんなとき入院している最中も至れり尽くせりで看病してもらった。
変な話だが、本当に居心地が良かったのでもっともっと入院していたいと思う自分がいる事に気が付いた。
ランクの差はあるが、お金を出せば、ホテルのような施設の病院もタイにはいっぱいある。
普通の一般タイ人が行くような病院ではなく、外国人、日本人専用とも言えるような病院の施設は驚くほどサービスがいい。
タイの病院は日本では考えられないかも知れないが、タイの病院は株式にも上場している。
タイでは病院が営利目的でも運営されている。
こういった所がサービスレベルが高い一因とも言える。
そして、僕自信も何度もタイの病院のお世話になってタイの医療施設の素晴らしさを自分のみを持って実感した。
日本で生活していた時は病院の世話になるようなことなんてめったになかったけれど、もしかすると日本と比較してもタイの病院のレベルは高いのかもしれない。
しかし、今回バンコクのある病院にて、驚く光景を目の当たりにした。
やはり日本が一番だ。タイで病院のお世話になりたくないと強く感じるような光景を目の当たりにしてしまったのだ。
バンコクのマジヤべぇご臨終したくない病院
先述したように日本では病院の世話になるようなことなんてほとんどなかった。
風邪なんて記憶にある限りほとんど引いたことがなかった。
もしかすると、風邪をひいていたのかもしれないけれど馬鹿だから気が付かなかったのかもしれない。
文字通り、馬鹿は風邪ひかないを地で行くようなタイプの人間だった。
そんな頑丈な僕もタイでは何度か体調を崩してしまっている。
タイは日中、外は灼熱のような暑さが続く、でも建物の中に入るとどこも冷房がガンガンとても冷えているのだ。
こういった環境のため体温管理が難しい。
タイに来てからというもの、定期的に熱を出し、風邪をひいてしまっている。
そして、先日僕はいつものように体調を崩し、熱を出してしまった。
救急車や助けを呼ぶレベルではなく、自分で車を運転して病院へ向かった。
タイに来てから、幾度となく病院に行ってはいるが、救急車を呼ぶようなレベルにまではなったことがない。
これは不幸中の幸いでまだ程度が軽い病気に掛かっている程度だととも思っている。
とにかく、体調を崩してしまった僕は会社を休み病院に行く事にした。
自分で車を運転し、病院に着き、受付を済ませ、医者の診察を受けるのを待っていた。
診察室の前にある待合室で僕は医者から自分の名前を呼ばれるのを待っていた。
僕は、いつも病院に行くときに思う事がある。
日本では病院の世話にはならなかった。
でも、タイに来てから病院に行くようになり、こう思うようになった。
もしかしたら、病院にお世話になってしまう人みんなが思うようなことかもしれない。
僕がいつも病院に行くときに考える事。
それは、病院には色々な人がいる。
今まさに大病を患わっている人、
交通事故を起こし瀕死の状態で担ぎ込まれてくる人、
熱を出したのか泣き止まない赤ちゃん、
僕と同じように診察をしに来た男性や女性たち、
診察を待つ間、病院で色々な病人や患者を目の当たりにしていた。
病院に来るといつも強く感じる事。
今僕は健康であること。
健康という事について、改めて感謝し、これからも健康を維持するために日ごろから気を付けて生活していきたいと考えさせてくれる。
病院に行くたびにいつも同じように考えさせられる機会を与えてくれる。
そして、病院では健康ということだけでなく、死についても深く考えさせてくれる。
普段仕事したり、食事したり、生活しているだけでは自分の死についてなんてこれぽっちも考えていない。
でも、病院で瀕死の状態や重病の患者や病人を見て死ということについて考えさせられる。
彼ら重病の患者を目の当たりにして、僕もあいびょいづれ体調を崩して彼らのようになるのだろう。
僕もいづれ大病を患ってしまうのだろう。そして、いつか死ぬのだろう。
病院に行く度に普段の生活では絶対に考えない死ということについて、考えさせられる。
病院に行く度に健康の大切さ、そして、死について深く考えさせてくれる場を与えてくれる。
健康、生と死、難しいそんなことを待合室でずっと考えていた。
そんなことを考えながら、2時間程が経ち、自分の名前が呼ばれ、僕はいつものように先生の診察を終えた。
入院などはする必要なく、薬を服用して家で安静にするよう医者から指示を貰った。
医者に言われたように僕は薬を受け取って、そして、帰路につくことにした。
会計を済ませ、自分の車を停めた駐車場へ向かった。
駐車場を病院の建物の外へ停めていた。
普段は屋内の病院専用の駐車場に車を停めるのだけれど、
この日ばかりは屋内の駐車場が満車だったため、やむなく屋外の駐車場に車を停めることになったのだ。
そして、そこで病院に来た時に気付かなかった驚きの光景を目のあたりにした。
ナニコレ珍百景 バンコクのある病院の駐車場
その病院の屋外にある僕が停めた駐車場の近くに病院と隣接するように大きな倉庫が置かれていた。
その倉庫にはデカデカとある文字が書かれていた。
僕はこの文字を見た時に驚愕した。
3度見なんてものでは物足らず、5度見くらいした。
マジか。。マジなのか?と自分の目を疑った。
その文字は5回見ても同じ文字だった。僕の目に狂いはなかった。
なんじゃぁこりゃぁと思わず叫んでしまいそうだった。
一体この病院は何なんだと大変驚いてしまった自分がいた。
その倉庫に書かれていた文字。
その驚愕の文字。それがR.I.Pだ。
R.I.Pを知らない人にR.I.Pの意味を説明をしておきたい。
R.I.PはRest In Peaceと言って亡くなってしまった人に安らかに眠るよう労わる言葉だ。
要するに結論から述べると、この僕が訪れた病院の駐車場の倉庫には遺体安置所が設置されていたのだ。
この病院は日本人も訪れるであろうバンコクでも大きな部類に入る病院であり、施設も豪華絢爛である。
でも、駐車場はかなり酷い。なぜなら、駐車場には遺体安置所がおかれていたのだから。
頑丈そうならまだ許せるが、まるでコンビニの弁当を廃棄する時に保管するような倉庫だった。
とても遺体を保管するに見えないような倉庫だったのだ。
この倉庫に書かれている文字だが、R.I.Pと書かれている所にオシャレを感じた。
Rest In Peaceとは言わず、R.I.Pと書き頭文字だけを使って省略させている辺りが若干カッコよさを感じさせる。
Twitterなどでもよく見かける若者向けの言葉とも言えるかもしれない。
この倉庫の写真を撮ろうとしたが、倉庫の中にいる死者からの罰が当たりそうなので撮る事は止めておいた。
最後に
今回はこの病院の詳細な病院名を記載する事は避けさせて貰った。
もしかしたら、あなたも訪れた事があるかもしれない位ある程度バンコクでは有名な病院だ。
そして、この病院の駐車場にあった倉庫を見て、また一つ生と死について考えさせられる機会を神様は僕に与えてくれた。
僕もいづれ身体が弱くなり、病気になり、いづれ死ぬのだろう。
どんなに健康に気を使っていてもこれは避ける事が出来ない。
でも、この病院でだけは絶対に死ねないと今強く感じる。
廃棄済みの弁当と同じような扱いをされるような事は絶対にされたくない。
僕はこの倉庫をみて、この病院でだけは死にたくない。
タイの病院でご臨終だけは絶対にゴメンだと強く感じさせてくれた。やっぱり僕は故郷である日本の地で生涯を閉じたい。
もし、あなたもタイバンコクで病院の世話になってしまうような事があったらちょっとだけでも屋外にある駐車場に足を運んでみて欲しい。
R.I.Pと書かれたコンビニの弁当廃棄倉庫のような遺体安置所を見たとき、あなたもきっと何か、生と死についての強い何かを感じるに違いない。