海外へ逃げて、あれから4年。3.11が私の人生を変えてしまった。

LINEで送る
Pocket

東日本大震災から今日で4年がたった。
2011年3月11日に起こったあの悲劇は当時日本で生活していた私の全てを奪っていった。

私の人生を変えてしまったと言える。

大好きだった日本を離れ、海外へ逃げる事になってしまった。

4年経った今もあの時に起こった地震を鮮明に覚えている。
これから先も決して忘れる事が出来ない。

私の全てを奪っていったあの日

2011年3月11日当時私は日本で仕事をしていた。
地震が起こった日もいつもと変わらず、私は自分のデスクで仕事をしていた。
年度末に近づいていた為、例年の如く非常に忙しかった。

私が体験した東日本大震災の地震の揺れ

そして、3月11日の午後2時46分に東日本大震災が発生した。
私はその時にデスクに座っていて、いつものようにまた地震かと思っていた。

正直地震は小さい頃から何度も経験していた。
日本人であればみんな同じだと思う。
多かれ少なかれ、大小の差はあれ、地震は日本人にとって、取っても切り離せない関係だ。
また地震か、くらいにしか思っていなかった。

しかし、今回の地震は尋常じゃない程の揺れがあり、周りからも叫び声が聞こえた。

オフィスには社員、サブコン含め100人はいたと思う。
揺れが酷過ぎる為、車内アナウンス等はなかったが、自主的にみんな机の下に潜り込むことになった。

揺れは数分続いた。
今まで何回も地震を経験していたが、こんな長い揺れは初めてだった。

実際の揺れは数分も続いていなかったのかもしれないが、
非常に長く感じた。数分位続いていたような気持だったのかもしれない。

この時に初めて人生で死ぬかもしれないと感じた。
建物が崩壊して、ここにいる全員死ぬんじゃないかと思った。

机の下から見えた二人の同僚の顔

こんな恐怖感を机の下に隠れて感じていた時に近くにいた二人の顔を覚えている。
彼らとは目があい、お互いの状況を確認していた。

一人は同じ部署の普段からめちゃくちゃ怖い先輩で喜怒哀楽を表情に表わさない事で有名な人だった。

体もデカく、笑った顔を見たことがない仕事はめちゃくちゃ出来るが、変わった人だった。
プライベートも良く分からない、謎だった。

私の会社には外人が多かったので、外人が彼を笑わせようとジョークを言っても無表情だった。
ゴルゴ13みたいな人だった。

私もこの人にはよくプレッシャーを掛けられ、ミスをした時は精神を追い詰める位にめちゃくちゃ怒られた。
逆にプロジェクトが上手くいったりした場合は何も言わず無表情だった。

私の職場では若干嫌われていたが、仕事が出来る為誰も文句が言えない鬼のような人だった。

そんな無表情なめちゃくちゃ怖かった先輩が
机の下に潜っている時には、顔が引きつっていたのだ

これは強烈に覚えている。

あの先輩のあんな引きつった顔は見た事が無かった。
でも、私も先輩同様顔が引きつっていたと思う。
それほど凄い揺れだった。

どうなってしまうのか、早く揺れが終われ、早く終われと考えていた。

もう一人確認できた顔は私から見てその先輩の奥に座る私と同学年の男性エンジニアだ。
先輩の顔が引きつっていた奥で彼の顔を確認する事が出来た。

彼とは先輩との関係とは対照的にめちゃくちゃ仲が良く、同じプロジェクトで徹夜漬け、オフィスにキャンプしていた時の戦友だった。
同じ年だったし、気が合った。

彼は普段からニコニコ笑っている奴だった。

彼と私が任されたプロジェクトが炎上してしまい、家に全く帰れないときも彼はいつも笑顔だった。
よくサーバールームで寝落ちしていた彼の顔は笑顔か寝顔位しか覚えてない位、いつもニコニコしている奴だった。

そして、机の下に隠れた、揺れが尋常じゃないその時も彼は笑顔だった。
なぜか笑っていたのだ。
彼はこの怖い先輩からイジメられるくらい、厳しく接してられていて、
その先輩がビビった姿をみて笑っていたのかもしれない。

彼の顔を見て、私もつられて笑ってしまった。
尋常じゃない揺れの中で緊張が少しほぐれた瞬間だった。

悪夢のような揺れは数分続いた。

現状を把握

そして、念願の揺れが収まり、私は机の下から出て、辺りを見渡した。
PCのモニターやら書類が辺り一面散乱していた。
みんな驚いた顔をしていたのを強烈に覚えている。

私の部署のGMがオフィスの様子や皆の安否を確認して、外に避難するよう大声を掛けた。
みんなかなりざわついていた。
でも我先にと逃げ出すものはおらず、避難訓練でやっているように列をなしてみんなで避難した。

オフィスを出て職場にいる全員で近くの公園へ避難した。
その公園には近くのオフィスに勤務する人たちがみんな非難しに来ていた。

私は好演についてまず、携帯で家族に電話を掛けてみたが、全くつながらなかった。
おそらくみんな同じことを考えて、回線がパンク状態だったんだと思う。

ニュースで東北が震源地である事を知った。

しかし、携帯のワンセグでニュースは見る事が出来た。
テレビ局のアナウンサーが黄色のヘルメット被っていた。
ヘルメットを被って緊急ニュースをやっていた。

見たこともない光景だった。

今回の地震は東京が震源地ではなく、東北であるという事だった。
このニュースを見るまでは東京が震源地だと思っていた。

東北が震源地なのに東京でも人生で経験した事が無いほどの揺れを感じた。

震源地の東北が如何に凄い揺れを発したか、想像を絶する地震だったに違いないと思った。

少し落ち着き始めた時にやっと今回の地震が緊急事態であることが分かった瞬間だった。

そして、みんなでワンセグのニュースを見ていて、東北の街を津波が押し寄せている事を知った。

私はサーフィンをやるので東北の浜辺や海沿いの道がかなり詳しかった。
津波が浜辺、海沿いの畑を覆い尽くしていた光景をテレビでみて、非常に高い波が押し寄せていた事が簡単に想像できた。

テレビから見ても凄い津波だったのが分かった。

不安の中、自宅へ徒歩で帰宅

1時間か2時間くらいは公園にいたと思う。
それから、会社のGMより現地解散する話があり、全員帰宅する事になった。

電車は止まっていた為、私は走ったり、歩いたりして数時間かけて自宅まで戻った。
帰宅途中、ある民家では家が倒壊していたり、火事になっていたり、救急車が走っていたりと被害が出ていた事が分かった。

これは夢なんじゃないかと思うような光景だった。
パニック映画で見ていたような、普段見る事が出来ない異様な光景を帰り道で度々目にした。

何かわからないが、非常に不安だった。
どうなってしまうんだろうかと不安だった。

原発事故の発生

数時間かけて家に着く事が出来て、家族もみんな帰宅していた。
それからは、ニュースにくぎ付けになった。

そして、3月11日その日の夜に福島の原発が緊急事態になっていることを知った。
非常用炉心冷却装置が注水できなくなり、緊急停止させたとのことだった。

政府は問題ないと言い、あまり大事ではないようなイメージを植え付けさせていた。

私自身もニュースを見ていて、あまり問題ではないと思っていた。
直ぐに緊急事態が終わる、解除すると思っていた。

3月12日 原発の爆発

そして次の日である3月12日朝に当時の総理大臣であった菅首相がヘリコプターで現場の視察を行ったとニュースが流れていた。
この時は正直何とも思っていなかった。
頼りになるじゃん位に思っていた。

しかし、その午後にありえない事が起こってしまった。
テレビでは原発から煙が発生していた。
原発や放射能汚染の事は全く分かっていないただの素人だったが、
素人目に見てもあり得ない事であることが分かった。

テレビでは霧と言っていた。
霧というレベルではなく、何かが爆発していた。
原発が爆発したんだと素人でも簡単に分かった。

インターネットには真実が書き込まれていた

インターネットやツイッターを見ると詳しい内容が色々と書いてあった。
それを見て、恐怖が私を覆いこんだ。
放射能汚染の恐ろしさをインターネットが教えてくれた。

テレビとインターネットで情報収集をすることが出来たが、
知れば知るほど怖くなるだけだった。

これからどうなってしまうのか、不安で仕方なかった。

この時にはもう1日前の地震、津波の事は忘れてしまっていた。
地震、津波でも多くの人が行方不明になったままだった。
しかし、放射能の汚染を調べると原発に比べれば、地震や津波は大したことではないとさえ思っていた。
それほどまでに放射能の恐ろしさを知ってしまった。

炉心、シーベルト、ヨウ素134、プルトニウム等今まで聞いたことない言葉を調べ、これを知っていく内に恐怖に包まれた。

この原発事故はもしかすると、日本の全人口を殺してしまう、日本を廃墟と化す可能性を秘めていることを知ってしまったのだ。

3月12日は土曜日、13日は日曜日であった為休みだったが、休む事は出来なかった。

不安しかなかった。

この日から政府、東電の原発を巡る対応が始まっていく。

しかし、その対応は全く頼りになるような対応ではなかった。

会社へ出社 外人はみんな逃げていた。

3月14日の月曜日私は車で会社へ出社した。
1番にオフィスに着いた。
まだ誰も来ていなかった。

オフィスに着いてすぐにオフィスが荒れた状態であった事に驚いた。
地震があったときのままだったが、地震当時興奮状態だったのか、しっかりオフィスを見ていなかったのでこれほどモノが散乱しているとは思わなかった。

私は自分の席を片付ける事にした。
そして、ある不自然な事に気が付いた。
いつも朝4時、5時にオフィスで働き始める同じチームのイギリス人がいなかった。
彼は誰よりも早く来て、午後の3時や4時に帰る誰よりも早く帰る奴だった。

どんなに早くいってもこのイギリス人はいつも会社に来ていた。
徹夜している状況でもオフィスに一番に来ていたのを何回も見ていた。

いつもいるはずのイギリス人がいない事に違和感を感じた。

そして、朝10時になり、GMから話がオフィスにいるメンバーに話をする事になった。

原発事故の話はしなかったが、今まで通り仕事をしていこうという事だった。
私の会社外資だったが、普通の外資よりも外人比率が多く、3割から4割は外人だった。
しかし、彼らは誰一人として会社には来ていなかった。

話を聞くと、大阪の事務所に避難したもの、台湾、香港の日本の近くにある国に避難したもの、
イギリス、オーストラリア、クロアチア等の自国に帰った者もいた。

みんな外人は原発事故を見て、非難していたのだ。
私のチームの朝必ず早く来るイギリス人も香港へ逃げていた。
理由は香港にラグビーをしに行くことになったという意味不明な理由だったが、
原発の爆発を見て逃げた事は簡単に分かった。

外人は逃げるなんて情けない。
ビビったんだなとそういう風に周りにいる日本人とは話していた。

しかし、内心は私もビビっていた。
私も逃げたかったが、逃げる事が出来なかった。
一番は周りに逃げたと思われたくなかった。

この気持ちを殺し、仕事をしていく事になった。
外人がいなくなったことで仕事は激務を極める事となった。
3月14日からまた徹夜やオフィスにキャンプしていく日々が始まって行った。

原発の状況は日に日に悪化していった。

仕事は忙しかったが、原発のニュースは常に見ていた。

オフィスにも大型のテレビが設置され、東電や政府の会見をしきりに映していた。
そして、原発の状況は日に日に悪化していった。

原発は1号機だけでなく、他の3号機でも爆発をさせてしまっていた。

仕事は忙しかったが、正直あまり集中できていなかった。

東電ももう管理出来ない、制御できない為、撤退するというニュースも流れた。
事態は相当深刻だった。
どうなるのかが不安だった。

仕事なんてしている場合なのかと思っていた。

もう炉心内の温度を下げる事は出来ない。
もう日本は終わりだと思っていた。

汚染水を福島の海へ放出

そして東電はついに放射能に汚染されていた汚水を福島の海へ放出した。
これはサーファーである私にとって衝撃的な事だった。

もう福島では私が生きている間サーフィンは出来ない事を意味した。
私が生きている間だけでなく、これから何百年も出来ないかもしれない。

福島の海は何度もサーフィンをしに訪れていた。
サーファーには有名だが、福島の原発近くは有名なサーフポイントがある。
福島は自然も多く、波もめちゃくちゃ良かった。

個人的な思い入れが、思い出が多い場所だった。

東電が行った行為、仕方なかったかもしれないが、
もう一生サーフィンが出来なくなってしまった。

福島の海への汚染水放出はサーファーの私にとって怒りより悲しさ、寂しい気持ちを支配する出来事になってしまった。

海外へ逃げる事を決意

来る日も来る日も携帯電話から発せられる緊急地震速報のアラームがオフィスを鳴り響かせていた。
地震にも怯えていた。

そして、目には見えない放射能にも怯えていた。

東北地方でサーフィンが出来なくなった事にも落胆していた。

私は日本が大好きだったが、
私はもうこれ以上日本に居たくないと感じた。
日本に居ても駄目だと思ってしまっていた。

会社には内緒で海外向けの転職活動を開始した。
そして、会社を見つけて私は何もかも捨てて、裸一貫で海外へタイへ逃げていった。

周りからは逃げたと思われたと思う。
もう正直周りの事はどうでもよかった。

当時私はそれくらい怖かったのかもしれない。

3.11を決して忘れない

日本を捨て、海外へ逃げてしまったが、4年経った今も日本の事が好きで仕方ない。
タイもいい国だが、やはり日本にはまるで勝てない。

あれだけの地震や原発事故になってしまったのに、日本人は全くパニックにならなかった。
世界で一番礼儀ある民族だと思う。

これからどんなことが起こっても日本人は負けないと思う。

日本人、自然、料理、四季、礼儀、技術、日本には世界でも1番の国だと思う。
自分が生まれて育った国というだけでなく、客観的に見ても日本は世界でも1番の国だと思っている。

あれから4年経ち振り返ると3.11は私の一生を左右するような、人生のターニングポイントになってしまったかもしれない。

悲惨な出来事だったが、これからも東日本大震災を忘れずに生きていたい。

そして、いつか日本の為に何かをしたいと思う。

生きている間に、いつか、福島の海でまたサーフィンがしたい。

LINEで送る
Pocket

スポンサードリンク

You may also like...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です